父逝く

15日の朝広島に着いてその足で病院へ向かった。帰ってきたよ私分かる?と聞いたら父は頷いた。そして院長回診で名前を呼ばれて「あい」と返事をした。
16日の昼に入院している伯父の話をしたら「そっか」と答えた。その声が最期の父の言葉だった。
17日と18日は眠ってばかりであまり意思の疎通はできなかった。
19日は夢を見ているように顔をしかめたり笑ったりしていたが、今夜同窓会だからもう帰るよと言ったら首を横に振った。なので暫く顔を見てから帰った。
20日は昼に同窓会二部があったので、弟と母が父を見に行った。昼に飲んだビールの酔いを醒ましに寝転がっていた夕方6時10分、病院から電話が入って弟の車で母と3人で向かった。しかし着いた時には父は既に息を引き取った後だった。電話の5分後の6時15分だったそうだ。未だ身体は温かくて昨日見て帰った時と同じ顔をしていた。呼べば目を開けそうな穏やかな顔だった。1時間後葬儀屋へ運ばれてドライアイスを抱いて安置された。
21日の朝枕経を上げて夜6時から通夜だった。一晩中付いていたかったが、体力に自信のある者は誰もおらず日付が変わる頃に帰宅した。
22日昼1時に葬儀と続いて初七日の法要をして火葬場へ向かい骨拾いをして帰宅した。
23日は彼岸なので従兄夫婦と約束していた二か所の墓参りと伯父伯母の二か所の見舞いというハードスケジュールをこなして夜は外食をして帰った。
24日と25日は区役所を回り諸手続きをして、遺産相続について話し合った。
26日は墓石の刻印を依頼して四十九日の法要を取り決めて帰京のバスに乗った。
予定通りに27日に帰京したが、二つの家の掃除片付けに疲れてPCに触れる余裕はなかった。
28日は相続に必要な書類を集めに都内を回りやはり疲れてPCに見向きもできなかった。
29日と30日はど〜っと疲れが出て体調を崩して幾ら眠っても眠くて仕方なかった。
日付も月も変わった今深夜にやっとこの半月間を振り返る気持ちが沸いた。あまりに忙しかった2週間だったので、一人の時間を持つとふうっと気が抜ける。そして今更のように涙してみたりする。通夜も葬儀も気を張っていたので存分に泣くことはなかったのだ。